Q:教科書の練習問題で、「あなたはどうやって帰りますか」というのを“你怎么回?”と訳したのですが、まちがいですか?
A:結論から先に言うとまちがいです。“你怎么回去?”とすべきです。
“回”(帰る、戻る)という動詞は、“回家”(家に帰る)“回中国”(中国に帰る、中国に戻る)のように後ろに場所を表す目的語を取るか、“回来”(帰ってくる、戻ってくる)“回去”(帰っていく、戻っていく)のように方向補語をつけた形にしないといけないのです。
カテゴリー: Q&A
「〜に」は必ず“给〜”?(二重目的語をとる動詞)
Q:教科書に“通知他”(彼に知らせる)というフレーズが出てきましたが、以前「彼に電話をかける」は“给他打电话”と習いました。どうして“通知”の時は“给”を使わないんですか?
A:中国語の動詞を目的語の数から分けると3種類になります。
・目的語0個=目的語を取ることができないもの。
(例)旅游(旅行する)、留学(留学する)、毕业(卒業する)など。
・目的語1個
(例)吃饺子(ギョーザを食べる)、喝水(水を飲む)、去中国(中国に行く)など。
“打电话”の“打”は、このタイプです。すでに“电话”という目的語を1つ取っていますから、「彼に」という部分は“给”という前置詞をつかって導入することになります。
・目的語2個
このタイプに属する動詞は極めて限られています。動詞の意味の特徴としては、二者の間でなんらかの物や情報のやりとりが行われるという共通点が見られます。
(例)送他一本书(彼に本を1冊プレゼントする)など。
2つの目的語の順番は決まっていて、動詞+目的語(誰に)+目的語(何を)となります。
“通知”はこのタイプになります。
(例)我通知大家一件事。(わたしは皆さんに1つの事を知らせます→皆さんにお知らせすることがあります)
“通知”については、教科書に出てきたように「何を」という部分を言わず、「誰に」という目的語1つだけを取ることもあります。
参考:刘月华・潘文娱・胡韡(商务印书馆 2002年)p465-466
pinyinの中にある ’ は何?
Q:pinyinのつづりの中に ’ が入っているものがありますが、この ’ はどういう意味ですか?たとえば、教科書に西安という地名が出てきましたが、piniyinは
A:pinyinで使われる ’ は「隔音符号」と言います。音節の切れ目が紛らわしくなりそうな時に、音節を区切るために使われます。
xianのというつづりは2つの解釈のしようがあります。
(1)xi+an
1つは西安のようにとxiとanの2音節(=漢字2文字)からできている場合です。この場合は と ’ を入れて2音節であることを示します。
(2)xian
もう一つの場合は、先 のように1音節(=漢字1文字)からできている場合です。この場合は ’ を入れません。
数え年と満年齢
Q:知り合った中国の方に年齢を聞いたら、自分と同じ年齢でした。でも生まれ年を聞くと自分より2年も後です。こんなことってあるのでしょうか?
A:ありえます。数え年というのを知っていますか?
数え年:生まれた時にはもう1歳、お正月が来る度に年をとる。
満年齢:生まれた時は0歳、誕生日が来る度に年をとる。
日本でも昔は数え年で年齢を言いましたが、今では満年齢で言うのが一般的です。
中国でも公的な書類などは満年齢ですが、日常生活では数え年で年齢を言う人が多いのです。ですからこういうことがありえます。その中国の方は満年齢ではなく数え年で自分の年齢を答えていたのです。
数え年のことは中国語で
虚岁
といいます。
満年齢のことは中国語で
周岁
といいます。
存在を表す“有”と所在を表す“在”
Q:場所+有”+人や物という構文と、人や物+“在”+場所という構文を習いましたが、どう違いますか?
A:まず以下の例を見てください。
(例1)<地理に不案内な所で銀行を探す>
A:这附近有银行吗?
(この近くに銀行はありますか)
B:有。有一个中国银行。
(あります。中国銀行があります)
A:(中国银行)在哪儿?
(どこにありますか)
B:在那儿。
(あそこにあります)
この例からわかるように、“有”の構文は存在するかどうかを問題にするもので、“在”の構文は人や物は存在するともうわかっていて、その所在を示すものです。
“在”の構文に出てくる人や物は、もう存在することがわかっている(既知)特定の人や物です。
(例2)
我哥哥在北京。
(私の兄は北京にいます)
一方“有”の構文に出てくる人や物は不特定のものです。また“有”の構文に出てくる人や物は数量詞を伴うことが多いです。
(例3)
桌子上有一本书。
(机の上に1冊の本があります)
ここの本は本という物体を一般的に指しているだけであって、特定の本ではありません。
(例4)
书在桌子上。
(本は机の上にあります)
この場合の本は話し手と聞き手の間であの本のことだなと了解している特定の本のことです。
なお、(例2)は以下のように言うことはできません。
×北京有我哥哥。
私の兄というのは特定の人物だからです。
中国語は中国語で何と言いますか?
Q:教科書には“汉语”と“中文”という言い方が出てきました。どちらも中国語という意味だと書いてありましたが、何か違いはありますか。
A:・中国語のことは中国語でいくつかの言い方があり、ニュアンスが異なります。
学術用語としては“汉语” 、漢民族の話す言語という意味です。
“中文” は教科書に出てきたように話し言葉としての中国語を指すこともできますが、文字で書かれた中国語というニュアンスを持っています。例えば中国語で書かれた小説は“中文小说” と言います。また中国の大学の学部名に“中文系” というのがありますが、これは中国語中国文学部という意味です。
“中国话” は特に話し言葉としての中国語を指す少しくだけた言い方です。
“普通话” とは中国語の共通語(標準語)のことです。
なお、各地の方言は、地名に“话”をつけて、例えば“北京话”(北京方言、北京語)、“上海话”(上海方言、上海語)“广东话”(広東方言、広東語)などと言います。
“普通话”は、“北京话”をベースにしていますが、全く同じというわけではありません。
台湾では中国語の共通語のことは“國語” と言います。
“华语” には海外で暮らす中国系の人々が話す中国語の共通語というニュアンスがあります。
2つの「〜したい」の言い方
Q:助動詞“想”+動詞フレーズも、助動詞“要”+動詞フレーズも「〜したい」と訳しますが、違いはありますか。
A:あります。
“想”は元々動詞で「思う」という意味です(動詞としても使います)。
“要”は元々動詞で「欲しい、要る」という意味です(動詞としても使います)。
元の意味の違いが反映していて、同じ「〜したい」でも“要”がより強い意志願望を表します。
例えば、“一定” (必ず、きっと)をつけて「必ず〜したい」と言いたい時は、“要”の出番です。
长大以后,我一定要当医生。
(大きくなったら、必ず医者になりたい)
×长大以后,我一定想当医生。
一方、“想”は「〜したい」と言っても、こうしたいなあといった軽い心づもりも含みます。
また、“要”には「〜しなければならない」という必要の意味を表す用法がありますが、この必要を表す用法は“想”にはありません。
「すみません」のいろいろ
Q:教科書では“请问”にも“劳驾”にも「すみません」という訳がついていましたが、この2つに違いはありますか?
A:はい、違いがあります。質問のシーンは道を尋ねるところでしたね。
“请问”は人にものを尋ねる時の決まり文句です。
“劳驾”は人の手をわずらわせる時の決まり文句です。質問のあったシーンでは呼び止めて道を尋ねることを人をわずらわせると考えてこう言ってます。
“劳驾”は人の手をわずらわせる時の決まり文句ですから、後に来る文は尋ねごとばかりではありません。例えば、観光地などでカメラのシャッターを押してほしい時は次のように言います。
(例)劳驾,请帮我照张相。
(すみません、写真を1枚撮って下さい)
この例の“劳驾”は“请问”に置き換えることはできません。
なお、“请问”にも“劳驾”にも謝る意味はありません。謝る時の「すみません」は“对不起”です。
“了”は過去形ですか?
Q:“买”を「買う」、“买了”を「買った」と訳すということは、“了”は過去形ですか?
A:いいえ。動詞+“了”という形で、動作行為の完了を表します。完了ということは確かに過去のことが多いのですが、では過去のことなら何でも“了”をつけるというわけではありません。
(例)昨天很冷。
(昨日はとても寒かった)
#“冷”は動作行為ではなく、「寒い」という状態です。
(例)我以前是护士。
(私はむかし看護師でした)
#“是”はAはBであるという判断や認定を表します。動作行為ではありません。
また未来のことであっても、動作行為の完了を表すために“了”が使われます。
(例)明天下了课,咱们一起去看电影,怎么样?
(明日授業が終わったら、いっしょに映画を見に行きませんか)
中国語は、英語のような過去・現在・未来という時制ではなく、動作行為がどういう段階にあるのかということを表そうとするのです。
“走”と“去”の違い
Q:先生は授業で“走” も“去” も「行く」と訳しましたが、“走”と“去”は同じですか?
A:いいえ。“去”は行く先を目的語にとることができます。
(例)去图书馆 (図書館に行く)
それに対して、“走”は行く先を目的語にとることはできません。
×走图书馆
“走”は行くは行くでも、その場から離れる、出かけるという意味での行くです。
また“走”には「歩く」という意味もあります。
(例)走路 (道を歩く)
(例)走着去 (歩いて行く)
#“着”は持続を表す助詞