質問:3種類の「ちょっと〜する」の違い

問:中国語で「ちょっと〜する」という言い方は3種類ありますよね?
・動詞+“(一)点儿”
・動詞+“一下”
・動詞の重ね型
どう違うのですか?

答:
“(一)点儿”は少量を表します。
(例)喝(一)点儿水。(少しの水を飲む→水をちょっと飲む)
動詞:喝(飲む)
目的語:(一)点儿水(少量の水を)

何を飲むかわかっているときは、以下のように言えます。
喝(一)点儿(ちょっと飲む)

では、 “等”(待つ)はどうでしょう? “等”の場合、 “ 喝”(飲む)のように少量の水と言えるような物が想定できますか?できませんね。したがって、ちょっと待つは “等一下”または “等等”と言います。× 等点儿は言えません。

“等”の場合は“等一下”または “等等”の両方言えますが、動詞+ “一下”と動詞の重ね型は同じものなのでしょうか?

“一下”の “下”は元々は回数を数える言葉です。瞬間的に済む動作を数えます。
(例)敲两下门(ドアを2回ノックする)
#敲(ノックする)
#门(ドア)
動詞+ “一下”の形で熟して、実際に具体的に1回するという意味ではなく、「ちょっと〜する」という意味になりました。

動詞の重ね型が作れる動詞には制限があります。その動作をどれくらいの間行うか何回行うかを自由自在にコントロールすることが想定できる動詞でないと、動詞の重ね型にできません。

“等”(待つ)はどれくらいの間待つのかを人間が決めることができ、場合によって10分しか待たないこともあれば、1時間待つこともありますね。したがって重ね型 “等等”にできます。

では “捡”(拾う)はどうでしょうか?例えばペンが落ちたのでちょっと拾ってと言いたい時はどう言えばいいでしょう? “捡”(拾う)という動作は普通1回で完結してしまう動作です。それを何回も繰り返したり、拾う動作にかける時間を長くしたり短くしたりということは通常考えられません。ということは重ね型にできないのです。

○捡一下(ちょっと拾う)
× 捡捡

请帮我捡一下(ちょっと拾ってください)。

質問:中国には同姓不婚の習慣は今でもあるのですか?

中国では昔は同じ姓の人同士が結婚することを避ける習慣がありました。しかし、現在の中華人民共和国婚姻法には同姓不婚に関する規定はありません。中国人の友人に聞いてみましたが、自分自身は気にしないが、お年寄りの中にはまだ同姓の人と結婚することをタブー視するようなこともあるようだとのことです。
近親婚の禁止については、中華人民共和国婚姻法には4親等以内の結婚はできないという規定があります。日本と違って、中国ではいとこと結婚することはできないことになります。
参考書:関西中国女性史研究会編『中国女性史研究入門 −−女たちの今と昔』人文書院 2005年

質問:〜吗?の疑問文と反復疑問文の違いは?

Q:“〜吗?”の疑問文と反復疑問文の違いは?

A:まず確認しておきたいのは、水曜日の教科書で学んだように、範囲を表す副詞(“也”“都”)や程度を表す副詞(“很”)等を含む文は反復疑問文にはできません。
(例)你也是日本人吗?(あなたも日本人ですか。)
   ×你也是不是日本人?

(例)你们都是学生吗?(あなたたちは全員学生ですか。)
   ×你们都是不是学生?

(例)你很累吗?(あなたはとても疲れていますか。)
   ×你很累不累

では、両方とも言える場合はどのような違いがあるのでしょう?
(例)这是你的行李吗?(これはあなたの荷物ですか。)
(例)这是不是你的行李?(これはあなたの荷物ですか。)

“〜吗?”の疑問文を使う場合は、話し手の心の中にそうではないかという予想や推測があります。
それに対して反復疑問文にはそういう予想や推測無しに「〜かどうか?」と尋ねます。

例えばいくつか荷物があって、その内の一つがあの人のでは?と思っているときは以下のように尋ねます。
A:这是你的行李吗?

すると、違うという返事が返ってきてしまいました。
B:不,这不是我的。(違います。これは私のではありません)

次にもう1回別の荷物を指して尋ねます。
A:这是不是你的行李?
一旦予想が外れているので、今度は予想や推測無しの反復疑問文で聞いています。

さらにもう一つ例を挙げましょう。“到底”という単語があります。これは「一体全体、結局のところ」といった意味です。この単語は反復疑問文には使えますが、“〜吗?”の疑問文には使えません。
例えば、「行こうかなあ、やっぱり行かないでおこうかな、いや、やっぱり行こうかなあ、どうしようかな。」と悩んでいていつまで経っても行くかどうか決められない人がいたとします。そんなときに「結局のところ行くの?」と尋ねたい時は以下のように言います。
(例)你到底去不去?
×你到底去吗?とは言えません。さっぱり予想や推測がつかない状態で尋ねるのですから、“〜吗?”ではだめで、反復疑問文の出番なのです。

質問:“去”と “走”はどう違う?

Q:“去”にも“走”にも「行く」という訳がついていました。全く同じ意味なのですか?違いはないのですか。

A:あります。
まず“走”には「行く」以外に「歩く」いう意味があります。
(例)孩子会走路了。(子供が歩けるようになった。)
この例の“走”を“去”と置き換えることはできません。
×孩子会去路了

「行く」と訳せる時にも大きな違いがあります。
“去”は目的地を目的語に取ることができます。
(例)去中国(中国に行く)
“走”は目的地を目的語に取ることができません。したがって上の例の“去”を“走”と置き換えることはできません。
×走中国
“走”には確かに「行く」と訳せる時がありますが、もう少し詳しく言うと「その場から離れる」という意味です。目的地は意識していません。
(例)快走吧。(はやく行こう=はやく出かけよう。)

6/8(水)の質問:”是~的”は過去形?

Q:“是~的”の構文は過去形なんですか?

A:結論から先に言うと、違います。
 まず中国語には英語のようなテンス(時制)がありません。英語では現在という時間軸を中心として過去であるか未来であるかで動詞の形が変わりますが、中国語ではそういうことはありません。その代わりに存在するのがアスペクトで、動作行為がまだ始まっていないか、始まろうとしているのか、始まったか、その最中か、終わったかなど、動作行為がどういう段階にあるのかということを示します。
 中国語では完了のアスペクトは“了”という助詞を使って表します。動作行為が完了したということはイコール過去ではないの?と思うかもしれませんが、必ずしもそうとは限りません。次の例を見てください。
(例)明天下了课,咱们一起去看电影,怎么样?
(明日授業が終わったら、いっしょに映画を見に行きませんか。)
「あす」という明らかな未来のことであるのに、“了”が使われています。
 さらに中国語の進行のアスペクトですが、進行ということは今現在のことではないの?と思うかもしれませんが、これも必ずしもそうとも限りません。進行のアスペクトにはいくつか表現の仕方がありますが、ここでは“正在~呢”を使った例を挙げます。
(例)昨天我去他家的时候,他们正在吵架呢。
(昨日私が彼の家に行ったとき、彼らは口げんかしているところだった。)
「きのう」という明らかな過去のことであるのに、進行のアスペクトが使われています。
 過去であれ未来であれ、動作行為が完了しているということを言いたければ“了”を使いますし、同様に過去であれ未来であれ、動作行為が進行中であることを言いたければ“正在~呢”を使います。このようにテンスとアスペクトは異なる視点から動作行為を捉えているのです。

 さて、問題の“是~的”ですが、この構文の成立にはある前提が必要です。それは動作行為がすでに起こっているという情報が、話し手と聞き手の間で共有されていなければなりません。その上でその動作行為にまつわる様々な要素(いつ、どこで、どのように等々)に焦点を当てて述べている一種の強調構文です。動作行為そのものに焦点が当たっているわけではないのです。

下の例ではもう来たことはわかっていて、いつ来たのか、どうのように来たのか、誰と来たのかというところに焦点を当てているのです。

A:他来了吗?(彼は来ましたか。)
B:来了。(来ました。)
A:他是什么时候来的?(彼はいつ来たんですか。)
B:是昨天来的。(昨日来たんです。)

A:他来了吗?(彼は来ましたか。)
B:来了。(来ました。)
A:他是怎么来的?(彼はどうやって来たんですか。)
B:是坐飞机来的。(飛行機に乗って来たんです。)

A:他来了吗?(彼は来ましたか。)
B:来了。(来ました。)
A:他是跟谁来的?(彼は誰と来たんですか。)
B:是一个人来的。(1人で来たんです。)

また、この前提に当たる部分(動作行為がすでに成立しているという部分)は必ずしも文として現れているわけではありません。例えば、教科書の会話文はいきなり“是~的”の構文から始まります。

你是从哪儿来的?(あなたはどこから来たのですか。)

你是哪年生的?(あなたは何年生まれですか。)

目の前にあなたがいると言うことは、もう来ていることは言わなくてもわかっていますし、もうこの世に生まれていることもわかっています。聞きたいのはそこではなくて、「どこから?」であり「何年?」なのです。

5/25(水)の質問:中国語の勉強法

Q:先生の学生時代の中国語の勉強方法は?

A:学生時代を振り返って、勉強方法をいくつか紹介しましょう。

1.中国の映画やニュースの聞き取りをする。
  何度もテープを聴き、辞書を何度も引いて書き取った単語やフレーズは音として身に付きますし、忘れません。

 中国の映画やニュースをテープに入れて、1字ずつ書き取っていきます。こういう方法を初めてやったのは学部の3回生の時で、張成銘老師が担当する授業でした。あらかじめ自宅でテープを何度も聞いてノートに書き取ってきます。もちろん聞き取れない部分がたくさん残ります。というか空白の部分の方が多いくらいです。それを授業で張成銘老師が出してくれるヒントを元にもう一度挑戦するのです。
 張成銘老師は私たちの拙い中国語を馬鹿にすることなく辛抱強く熱心に指導して下さり、“不要害怕说错,大胆说!”(言い間違いを恐れてはいけない、大胆に話しなさい。)と常に私たちを励ましてくれました。

 張成銘老師の授業が終わった後もこの勉強方法を続けようと思い、1人だと挫折するので、友人とグループを組んで定期的にやってました。人間誰しも見栄がありますから、途中で投げ出したくなったときに友達に負けないようにと踏ん張りが効きますし、何人かいると、私の聞き取れないところを他の人が聞き取れている、他の人が聞き取れていないところを私が聞き取れているといった具合に、互いの足りない部分を補い合って聞き取れる部分が増えていきます。

2.中国に行く
 中国に行って実際に言葉が使われている現場を体験することにより、語彙力が強化できます。

 例えば、こんな体験をしたことがあります。
 中国の郵便局で日本に小包を送ろうとしたときの事です。4枚綴りの複写式の用紙に宛先などを書き込んだのですが、一番下の用紙の分がはっきり写っていません。郵便局員は私に向かって“miáo 一下”(ちょっと“miáo”して)と言いました。私は“miáo ”はどんな漢字だろう?と思いましたが、状況から考えて、一番下の用紙がはっきり写っていないからなぞって書けと言っていることは察しがつきます。音を忘れないように口の中でぶつぶつ言いながら部屋へ帰り辞書を引いてみると、“miáo ”は“描 ”であることがわかりました。
 その後、街角で“扫描”という看板を見ました。スキャンすることを“扫描”と言うのです。“扫”は「ほうきで掃く」“描”は「なぞる」です。確かにスキャナがスキャンする様子はほうきで掃くように物体の上をなぞっていくよなーと妙に納得しました。

 こんな風に日常生活の中で、漫画風に言えば「ひらめいた!」と頭の上に電灯マークがともるような経験をして、語彙のネットワークを増やしていくことができます。

3.中国語の文章をたくさん読む
 私は外国語学部ではなく文学部の出身です。日頃の授業は講読が中心で、現代中国語から古典中国語(いわゆる漢文)まで、みっちり読まされました。こういう読んで訳すという講読タイプの授業は外国語の習得に役に立たないという意見がありますが、果たしてそうなのでしょうか?

 文法が一通りマスターできれば、後は語彙力の勝負です。私の学習歴を振り返ると、確かに母語と同じようにまず耳から音として入ってそれを文字として定着させた語彙もありますが、講読において目で見た単語を、聞き取りで音として再確認して、それを憶えて話すという経過をたどった語彙もたくさんあります。古今の中国語の文章を読むことを通じて、中国語の発想や論理に慣れ、中国文化に関する知識を知っていたことが、中国語のレベルアップに大いに役に立ったのです。

 私も皆さんと同じで大学に入ってから中国語を始めました。バイリンガルの家庭で育ったわけでもないし、子供のころから中国語を勉強していたわけでもありません。大学院生の時に1年間、そして就職してから1年間中国に留学する機会に恵まれましたが、私の中国語の基礎は日本で身につけたものです。

 未だに使えない単語や聞き取れない単語がたくさんありますし、私の中国語が私の母語である日本語と同じように使えるようには一生ならないでしょう。“活到老,学到老”(死ぬまで勉強、“活”は生きるの意味)です。こういうとなんだか暗く聞こえますが、今までわからなかったり知らなかったりしたことがわかる、「ああ、こんな意味なんだ」「ほう、こんな言い方をするんだ」という、発見の喜びと驚きが一生続くということだと思います。

5/18(水)の質問:接頭辞の“阿”

Q:人の呼び名で“阿~”というのは今でもありますか。

A:接頭辞の“阿~”の歴史は随分古いのですが、みなさんが今授業で学んでいる“普通话”(中国語の共通語)の中では、“阿姨”(おばさん、保母さん、お手伝いさん)くらいでしょう。但し、今でも中国の南方の方言では接頭辞の“阿~”はよく使われています。

接頭辞とは?
中国語の単語の構造を見てみると、語幹と語幹が結合したものと語幹と接辞が結合したものがあります。語幹と接辞の関係はたとえて言うのなら幹と枝のようなもので、主な意味は語幹の方が担っています。接辞には語幹の前にくっつく接頭辞と語幹の後ろにくっつく接尾辞があります。
接頭辞+語幹の例:老师(先生)老虎(虎)
語幹+接尾辞の例:刀子(ナイフ)字儿(字)石头(石)

中国語の構造や成り立ちに興味を持った人へ:
今はまだ難しいかもしれませんが、参考になる本を書いておきます。

北京大学中国語言文学系現代漢語教室編 松岡榮志・古川裕監訳
『現代中国語総説』三省堂 2004年

藤堂明保・相原茂著
『新訂 中国語概説』大修館書店 1985年

王占華・一木達彦・苞山武義編著
『中国語学概論』駿河台出版社 2004年

太田辰夫著
『中国語歴史文法』朋友書店 昭和五十六年

5/11(水)の質問:字(あざな)について

Q:今の中国人にも字(あざな)はありますか?

A:字(あざな)を持ち出してくるとは、きっと中国古典に興味があるのですね。私がこの道に入ったのも、そもそも中国古典が好きだったからです。

中国古典を好きな人は知っているでしょうが、そうでない人にとっては「字(あざな)って何?」という状態だと思いますので、質問に答える前にまず字(あざな)について簡単に説明しておきます。

昔の中国人には少なくとも2つの名前がありました。本名である諱(いみな)、そして成人したときにつけてもらう字(あざな)です。人を諱(いみな)で呼ぶことは非常に失礼なこととされ、字(あざな)で呼びました。

その他、人によっては更に自分の趣味でつける号(ごう)や、生前の行ないに基づいて死後に贈られる諡(おくりな)を持っている場合があります。

例えば、北宋の蘇軾(1037〜1101)は、諱は軾、字は子瞻、号は東坡居士、諡は文忠です。

さて、質問に戻りますが、今の中国人には字(あざな)をつける習慣はありません。
では一生一つの名前かというとそうわけではなく、幼い頃に使う“小名"という呼び名があります。学校に上がるころになると、正式な名前で呼ぶようになります。

今の中国人の名前について詳しくはこの授業の参考書として指定した相原茂編著『中国語学習ハンドブック 改訂版』(大修館書店 1996年)の第III部「言語表現と文化」3「姓と名」を参照して下さい。

5/11(水)の質問:中国語の受け身

Q:中国語に受け身文はありますか?

A:あります。以下のような構文をとります。

受け手+“被”+(仕手)+動作行為。
受け手+“叫”+仕手+動作行為。
受け手+“让”+仕手+動作行為。
(例)
钱包被人偷了。(財布を人に盗られた。)
钱包叫人偷了。(財布を人に盗られた。)
钱包让人偷了。(財布を人に盗られた。)

“被”は動作行為の仕手を省略することができます。
钱包被偷了。(財布を盗られた。)

“被”“叫”“让”といった受け身のマーカーを使った受け身文は、話し手にとって何らかの被害感(都合の悪いことや嫌なことをされてしまったという感覚)を伴うのが普通です。
但し、“被”については被害感を伴わない受け身文もあり、主に書き言葉の中で使われます。

上学期,我被大家选为班长,我很高兴。
(前の学期、私はみんなからクラス委員に選ばれて、とてもうれしかった。)

みなさん、すでに中日辞典を購入していますよね?辞書と言えば、単語の意味を見るだけと思っていませんか?最近の中日辞典はコラム欄が充実しており、文法、文化、習慣など、さまざまな知識を得られます。この機会にぜひ一度見てみてください。受け身文に関しても、以下の中日辞典にコラムがあります。

相原茂編著『はじめての中国語学習辞典』(朝日出版社 2002年)p88〜89
北京・商務印書館 小学館共同編集『中日辞典 第2版』(小学館 2003年)p70
相原茂編『中日辞典 第2版』(講談社 2002年)p66〜67
相原茂・荒川清秀・大川完三郎主編『東方中国語辞典』(東方書店 2004年)p60

中国語文法に興味がある人、私のホームページに日本語で読める中国語の参考書についてまとめてありますので、これも一度見てみて下さい。

4/20(水)の質問:中国語の敬語

Q:中国語に敬語はあるのですか?

A:この問題については以下の文章が参考になります。

相原茂編著『中国語学習ハンドブック 改訂版』大修館書店 1996年
第III部第2章8「敬語」

『小学館日中辞典 第2版』小学館 2002年 p562〜563「敬語表現」

相原茂・木村英樹・杉村博文・中川正之『新版 中国語入門Q&A』大修館書店 2003年
p20「敬語はありますか?」p82「女子大生のわたしをオバサンとは!」

相原茂・木村英樹・杉村博文・中川正之『中国語学習Q&A』大修館書店 1991年
p14「先生を"他"(かれ)と呼んでもいいですか」

 上記の文章を参考にしつつ、私の経験や意見も加えてまとめてみましょう。
 日本語では「食べる」の尊敬語は「召し上がる」謙譲語は「いただく」丁寧語は「食べます」といった一連の言い方がありますが、中国語には日本語や韓国語・朝鮮語のような体系的な敬語はないと言われます。しかし、敬意やていねいさを表す表現が存在しないというわけではありません。例えば、二人称は"你"を使うより"您"を使う方がていねいです。

1.呼称は重要。
 日本に長くいる中国人の友人が「日本語の〜さんや〜様は便利です。」と言っていました。その友人が言いたかったのは、とりあえず「〜さん」「〜様」と言っておけばすむような広く使える敬称が中国語にはないということだと思います。中国語では相手をどう呼ぶかということが相手と自分の関係を如実に表すものであり、呼称は敬意を表す重要な方法なのです。
 私が経験した例では、私がまだ20歳代の頃のことですが、中国のバスで幼い子供連れのお母さんに席を譲ってあげたことがあります。子供は私に"姐姐,谢谢!"(お姉ちゃん、ありがとう)と言いましたが、母親は慌てて子供の耳元で"阿姨"(おばちゃん)と何度もささやいていました。子供が私のことを「姐姐(お姉ちゃん)」と呼んだので、「阿姨(おばちゃん)」と言い直させようとしていたのです。中国の呼称では世代の概念が働いています。子供が私を「姐姐(お姉ちゃん)」と呼べば、子供と同じ世代ということになってしまいます。「阿姨(おばちゃん)」と呼ぶと、子供にとって母親と同じ世代ということになり、敬意をはらっていることになるのです。この話は上に上げた参考文献で知識として知っていましたが、自分で体験して「なるほど本当にそうなんだ。」と思いました。ちなみに男性であれば、"叔叔"(おじちゃん)と呼ばれることになります。

2."请"を付けてていねいに。
 "请"は頼むという意味の動詞で、"请"+(你)+動詞フレーズで「〜して下さい」という表現ができます。
 例えば、"你等一下。"(ちょっと待って)より、"请您稍等一下。"(少々お待ち下さい。)の方がていねいな言い方です。

3.可能や許可を表す助動詞を使った疑問文でお願いする。
 "能"や"可以"といった可能(〜できる)や許可(〜してもよい)を表す助動詞を疑問文で使って、お願いする表現があります。
你能不能帮我一下?(ちょっと助けてもらえませんか。)
我可不可以打扰您一下?(ちょっとお邪魔してもよろしいでしょうか。)
 この場合は相手にそういう能力があるのかと尋ねているのではなく、相手がそういうことをしてもよいと思っているかどうかを尋ねるという形で、実質的には相手に対してお願いをしています。また、疑問文で聞いていますので、相手にはNo!と言う選択肢があることにもなり、ていねいな言い方です。

4.使役文を使ってへりくだる。
 "让"という使役(AはBに〜させる)を表す動詞があり、"让"+"我"+動詞フレーズで、「私に〜させてください。」という表現ができます。
让我介绍一下。(ちょっと紹介させて下さい。)
 相手を使役の主語にすることによって、相手に主導権を与えている=こちらがへりくだっているということになります。